2009年7月19日に『虹の橋』に旅立ち、7月20日には安ちゃんの姿はこの世から消えました。
でも魂はず〜っと心の中でいつも一緒です。と言っても…。
やはり姿が無いのは辛い事です。
元気な時から動かない安ちゃんでしたので、いなくなっても安ちゃんの場合は
今までと余り変わらないのではと思っていました。
でも現実にいないということがこんなにも辛いなんて。
今までのチップやマックとの別れほど、辛いはずがないと…
やはり想像と現実は全く違うことを今回も思いしらされました。
私は、父を15年前、母は25年前に亡くしています。
両親の死は受け入れることが出来たのに、どうして愛犬との別れはこんなに苦しいの?
人間の子供のように子離れ、親離れがないから?
多分、最初に家に迎えた時は、ただただカワイイという思いから
一緒に生活をして行くうちに段々自分の分身となっていくのではないかと思います。
だからこんなにも苦しいのかもしれません。
亡くしてから本当にその子のことを考えられる、生きている時はきっと表面だけを見ていて
でも実際にその姿が無くなったら、自分の記憶をたどって本当の安ちゃんが見えてくるのかも知れません。
それはきっと元気な時には見えないのかも知れません。
私には、心の支えにしている言葉があります。
その言葉を安ちゃんは実践してたような…
『倒れるは、立ち上がる為
眠るは、目覚める為
敗れるはより、善戦する為』
ロバート・ブラウニング
最期の頃は目も見えない、耳も聴こえない、脚も弱まり色々な所にぶつかり、
目が腫れても直ぐに立ち上がり歩き出す。
すぐに眠りますが、さっきより元気に歩けるように・・・
安ちゃんは最後の戦いでも決して諦める事は無かったので
お医者さまから余命1週間と言われてもここまで頑張れたのだと思います。
でも、「そこまで頑張る意味はどこに」とも思いましたが、
きっとそれは私に自分の身体をもって、実践してみせてくれていたように思えてなりません。
そして旅立った日の夕方にはあんなに凄くてきれいな『虹』まで見せてくれて。
そんなの絶対に安ちゃんには似合わない演出なのに。
そんな安ちゃんにやはりもう一度、逢いたい…。
安ちゃん本当にありがとう!
もぅ何も頑張らなくていいんだから。
今度はもっと楽に生きてネ
生まれ変わったら、またうちの子になってネ、安ちゃん…。
最後に2009年9月6日、四十九日を迎えて思える事があります。
みんなから「安ちゃんは本当に幸せだったネ」と言われますが
安ちゃんも幸せだったかも知れませんが、
安ちゃんと一緒に過ごす事が出来た私達が一番幸せだったということが
わかったような気がします
